ウワサ其の陸:第六天魔王見参!!


何故に織田信長のページにんなもののせるの?という方もいると思うのでとりあえず元のエピソードを。

元亀三年(1572)武田信玄が西上を始める。
当時最強の名を欲しいままにしていた武田軍が黙って信長の領土を通るわけもなく当然のこと戦になる。
その時、武田信玄は「天台座主沙門信玄」と書状に署名して信長へよこした。
その返書として、信長は「第六天魔王信長」と記した書状を送っている。
このことは、ルイス・フロイスがイエズス会へ送った書状にだけ記されているという。

この第六天魔王とは一体何なのか。
第六天とは、六欲天(欲界六天)の最上第六位に位する天だ。
天(神々の世界)、人(人間の世界)、修羅(争いの世界)、畜生(動物の世界)、餓鬼(欲望の世界)、地獄(苦しみの世界)。
第六天魔王はこれら六つの世界を統べる王者であり、輪廻(生まれ変わること)を司り、次の世を定める支配者である。

ちなみにかの有名な帝釈天。この神は第二天に住む神である。
第六天はそのはるか上空にある。
つまり第六天魔王の魔力から言えば帝釈天なんて赤ん坊のようなものなのだ。

この第六天魔王は別名他化自在天王という。
他化自在天王というのはそこにすむものはあらゆる望みを意のままにし、創造できるそうだ。
そこの王、それこそが第六天魔王である。

また火を吹いたり不死身だったり何かと超人的な神である。
あ、神様か、元から人じゃない(笑

修行者の邪魔をして仏道を障害し、欲情を煽りたて、智慧、善根をさまたげる天魔。
この天魔の王が第六天魔王である。
仏教世界中の最強最大の仏敵だ。

では何故この名を信長が用いたのだろうか。

答えは簡単、信玄への対抗上持ち出したのだ。

信玄が名乗った「沙門」これでぱっと思いつくのは毘沙門天だと思うが勘違いなく。
毘沙門天と沙門は別物。沙門は出家修行者を指す。
信玄としては武田軍は神仏の加護を受けて勝つと記したわけだが、
信長はさらに上をいってしまったわけだ。
信長は自ら仏敵を名乗ったのだ。

しかしよくこれと比叡山の焼き討ちを照らし合わせる文献を見るが、これは一体如何なものであろう。
実際比叡山の焼き討ちで宗族3000人あまりを惨殺しているというが、実はその焼き討ち自体怪しいのだ。
どの辺が怪しいかは、もう少し調べてから述べるとする。

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