ウワサ其の漆:消えた信長


トップ絵にあわせて(笑
織田信長を研究していく上で、一番の謎。
それがこの「本能寺の変」だろう。
謀反を起こした明智光秀の動機も闇の中の上、
明智軍の進軍経路、周りの公家衆の動向、前日の茶会。
そして何よりもの大問題が、変でなくなった筈の信長本人の亡骸の行方だ。

死因については爆死、焼死、切腹、頚動脈切断など、いろいろ説が上がっている。
いずれにしろ信長自身本能寺の本殿の奥の間で、誰も寄せ付けぬようにしてからの死だというところから、
どの文献もおそらく想像でかかれたものだろう。
つまりよく大河ドラマでえがかれる敦盛の舞をまったかどうかも闇の中である。
奥の間に入ってから何をしたかは、あの世から信長にご足労願わなければわからない。
記録をたどってみると、

本城惣右衛門覚書「あけちむほんいたし、のぶながさまニはらめさせ申候時、……」
信長公記「……無情に御腹を召され、……」
イエズス会日本年報「或人は彼が切腹したと言ひ、他の人たちは宮殿に火を放って死んだと言ふ。……
大和記「本能寺へ押寄セ御腹メサセ……」

と、当時ですらどのように亡くなったのかわからない様子がイエズス会日本年報でわかる。
多くの資料は「自害」と言う言葉にとどめており、どのように果てたかは記述がない。
特に軍備していなかった信長が火薬を使って爆死、と言うのはありえそうにないし、
武士ならば自害にしても頚動脈を切るより切腹の方がありえそうだ。
頚動脈まで刀を持っていくのも大変だろうし、持っていったところで力は切腹の方が人間の体の構造上はいりやすい。
本当に死を覚悟してこもるのならしっかりと死ねるほうを選ぶだろう。
ただ私のこの考えに根拠はない。全くのフィーリングだ。

それでも大方普通は骨が残るはずである。
しかし実際にはみつからなかった。
「悪人を倒しました」という大義名分を掲げるつもりであった明智光秀は
その一番の証拠を取り損ねたのだ。
では亡骸はどうなったのか。
それがわからないからこそ、誰かが持ち去った、それでどこに墓が立った、という話が出来上がるのだ。

勿論その話を否定するつもりはない。
否定する根拠がないのだ。
墓を暴いてDNA鑑定をしたところで信長本人のDNAはわからないのだ。
つまり特定しようがない。

誰かが持ち去った、という話以外にもう一つあるのが
「激しい業火で骨も全て塵灰に帰した」という説である。
それほどまで変の炎は強かったのだろうか。
そしてそれは本能寺の変で可能なのだろうか。

当時の本能寺は木造である。
つまり木材が燃えた、という事になるのだ。
木材は加熱されると熱が内部に伝わり、温度が上昇し、やがて分解される。
この分解生成物中には燃えやすいガス成分があって、これが空気(酸素)と混合して着火する。
これが「木に火がつく」状態である。
しかしこのような着火の過程は、加熱方法の違いや木材の大きさに関係ない。
熱伝導性と分解の速さが燃えるか燃えないか、という事になる。
熱を伝えやすい材料は加熱されると内部の温度は速やかに
上昇るすが表面温度は上がらず、
分散ガスの着火に必要な高温にいたらない
ため火がつきにくくなる。

木は、水分があるうちは熱しても100℃以上にはならない。
水分が蒸発して、なくなってしまったときに、温度が上がり始めるのだ。
100℃を超え、さらに温度が上昇し、260℃に達した時に、分解してガスが発生する。
チャッカマンなどで割り箸などに火をつけたりするが、その火がついた状態がこれである。
だだし、これは木材そのものが燃えるのではなく、木材から出ている可燃性のガスに火がついたのだ。
この段階では、口火を近づけなければ火はつかないが、さらに温度が上がって約450℃になると木は自然発火する。
そして、約500℃になると木材は灰になってしまうのだ。

しかし木材が完璧になくなるというわけではなく、たとえば黒炭を作る時は400度から700度で焼く。
また白炭は1000度まで上げてつくりだす。ただし冷ます作業がいる。

一般的な現代木造家屋の火災では最高燃焼温度が1100度位までに達すると 言われている。

一方人骨はたとえば遺跡から出土する骨を見るとさまざまあることに気づく。
火葬人骨は白色をしているが、火力が弱いと灰色〜黒色になるのだ。
ちなみに「人骨が塵灰に帰す」状態は1200度ぐらいである。

1100度と1200度。100度の差は大きい。
髪の毛一本も残さず塵灰に帰したというのはこれでは無理だ。

限界にまで燃え上がったとするならば、
約1100度である。
低温ではないのでおそらく残るのならば白く残ったはずだ。
とても探しやすいはずである。

が、しかし!!

本能寺の大寶殿には当時の薬の溶けたものなどが展示されている。
釉薬は1200度くらいで解けるのだ。
ちょうど人骨がなくなる温度である。

では、本能寺はいかにして燃えたのか。
それは簡単である。
1100度。それは現代の木造家屋での話だ。
純粋に木ばかりを使っているのではく、おそらく土台にはコンクリート、壁に何とかという化学物質……ということで
達する温度が下がったのではないか。

木材は燃えて半分の大きさになる(もろくなる)のに20分は要する。
本能寺は焼け落ちたため少なくとも20分以上、二時間は燃えていたのではないか。
一定の温度であったとは考えにくいが、1200度を二時間。
これでは骨は残らない。


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