安土城址
アクセス
新幹線米原よりJR東海道本線(JR琵琶湖線)24分、京都より43分、安土駅で下車。
安土駅からはレンタルサイクリングで行くといい。
概要
端的に言えば信長が築城した城。近江国安土(今の滋賀県)にある。
1576年、築城開始。丹羽長秀が奉行を務める。
「安土」の地名については信長が「平安楽土」から撮ったという話もあるが、
岐阜の名前も、結局もとからの雅称であったことも考えて信長のアイディアとは考えにくい。
しかしこの築城に際し「安土」と称したのは確かである。
初めて天守を頂いた中世の城になり、外見もかなり変わった風貌であった。
しかしその夢のような城も1582年、本能寺の変に際し、6月15日に焼失してしまう。
火をつけたのは明智光秀、または混乱に陥った城下の火災の飛び火とも言われるが、現在は信長の次男、織田信雄による放火説が有力。
清洲会議後、再び丹羽長秀により修復されるが後見人織田信孝・柴田勝家らは跡継ぎである三法師を入城させなかったが、
柴田勝家が賤ヶ岳の戦いで落命すると、三法師は安土城へ入っている。
その後、小牧・長久手の戦いなどにより信孝・信雄を倒して秀吉は三法師を大阪へ移し、安土城は廃城となっている。
以下、狼木のアホレポート
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私は京都に行った帰り、安土による形にしましたが、 半日ではおそらく足りません。 また批判するわけではないですが、町の城郭資料館などは楽しむだけにしましょう。 本気でお勉強しようとおもうと痛い目に遭います。 台風一過でこの快晴。 肌が痛いです。 これは駅前に立つ信長公の銅像。 一応信長らしさを追求してくださってます。 ちなみに私、信長の銅像では一番これが好きです。 地価も結構大きいです。ああ、銅像としては普通ですが、 もっと小さいのを想像してました。 レンタルサイクリングを借りると気持ちよく走れます。 死ぬほど暑い日でしたが、田んぼを吹きぬける風は冷たい心地よいものです。 ああ、武州に帰りたくない(おい その先にある安土城天守の先っちょだけを復元したものを飾ってあるところから 安土城を望みます。 するとこんなかんじです。大体黒矢印のあたりにハ見寺跡、赤矢印のあたりに 天守跡です。 いまは見事な田園地帯ですが、景清通までは城下町だったといわれます。 ちなみにここはその城下町とするあたりの東端あたりです。 (あいまいな表現でごめんなさい) 安土城天守・信長の館はまるきり嘘というわけではなく、考証に考証を 重ねた結果であり、大なり小なり、信長が建てた安土城に近いものです。 見るだけの面白さはあります。 寧ろ私はこれでいいのでは?とおもうのですが。 ただ後々語ることになるでしょうが、安土城は従来言われている 内部は吹き抜けであったという説はもう殆どいまの学会ではみなされていません。 そうすると天守の外装も変わってくるようです。 平成の私たちがどれだけ信長の安土城に近づけるか、楽しみなところです。 |
安土城は丹羽長秀の普請により建てられました。
但しその四年後、本能寺の変に際し焼け落ちてしまいます。
焼けてしまったのは本能寺の変でパニックになり火災が起こった城下からの飛び火だとか、
変後やってきた明智光秀によるものだとか言われていますが、今はおおかた信長の次男・信雄によるものといわれています。
その後秀吉は一応信長の後継者の後見人という立場をとるため、安土城は修復されますが、
小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に敗れ織田の天下がいよいよ終り、安土も廃城となります。
この田園地帯を見ていると、ここに本当に日本の中心部をほぼ掌握した人間の城下町があったとは思えないほどにのどかなところです。
時代がたってしまったことを想像させてくれます。かなり大きかった城下町が、500年の後にはこうなってしまうのだとおもうと……(涙
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石碑まで埋もれてらぁっっ!!! 寧ろこれ読めませんが。これ。石碑の意味ないじゃん。 ちなみにこれ、道路の反対側から撮影しているので実はかなり大きな石碑なのですが…… ちなみに私たちが行く本の一週間前、新しく大手道前で広場が発見されていました。 南北四十四メートル…… 駐輪場(駐車場)のところです。天皇御幸の為の施設か何かだと おもわれているそうです。 今思えば写真とっておけばよかったなぁ。 普通ブルーシートか何かで覆うのですが(発掘したままの状態を保存する為 晒されてましたよ。重機もおきっぱでしたし。流石に立ち入り禁止でしたが。 |
さあいよいよのぼりませう!!
大手道です。ここは圧巻です。坂もきついのですが、何よりも信長大好き人間の私はこの辺で動悸が(早すぎ
(つ;´Д`)つおっ、御屋形様ぁぁぁ!!
……と、折角付き合ってくれていた友達をほったらかし、一人自分の世界へ迷い込む狼木・当時10代最後の夏。
左側が伝・羽柴秀吉邸、右側が伝・前田利家邸です。
ああ、やっぱり仲良かったのねvサルと犬♪……
……ところが、安土城の中の伝・〜邸というのは殆ど確証がありません。これといった証拠品が出てきていません。
とりあえず現存する最古の、一番精密な絵図にはそう書かれている為についていますが、
それも実は江戸時代に描かれたものなので確かともいえません。
大体普通城下町に家臣団の家を建てます。
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前田さんちから羽柴さんちを見る。 羽柴さんちはきれいに整備されてました。 屋敷の構造が明らかになった貴重な事例を見ることができる。 ……が、素人目にはよくわからん。 ここは事前に調べておいたものをあとでみなおしました。 |
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一方前田さんち。 (怒`皿´)蜘蛛と蜂がいたよ馬鹿ァ!!! 私は虫が嫌いなんだよ特に羽が生えたヤツッッ!! こちらは奥まで入り込めません。ああ、この変に建物あったのね、って程度。 こちらのほうがわりとわかりやすい。 結構草が多い茂っていて、大手道上る前にも 「蛇などがいます。各自で注意してください」というある意味親切な、 ある意味不親切な看板を見た後だと、藪の中に足をつっこむのも勇気が要ります。 でもそうしてつっこめば、排水施設の跡を見ることができます。 茶器などが出土している為、相当優雅な生活であっただろうといわれています。 実際の遺物の写真見ると確かに立派な陶磁器なんですね。 |
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石仏です、 ためしに私の足を出してみました。 私の足は24.5センチです。結構大きいですね。 もっとちまいのだとおもってました。 安土という土地は昔から石が取れるところであったので、わざわざ石仏を壊すほど 石が足りなかった、というわけではないようです。 お寺を(意図的に信長が)壊した時などにでた石仏を再利用したそうです。 結構あっちこっちあるので面白いですよ。 |
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伝・おだのぶちゅ邸跡 信長の長男・織田信忠の屋敷址だそうです。 いやいいけど……いいけどさ。。。 看板倒れてるよ、後ろ。 |
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蛇石候補その1。黒金門付近 いやちっちゃいだろこれ!!! 蛇石というのは安土城を建てる際に使われた、大きな石。 どこに使われたのか、まったくもって不明だそうだ。 修羅などで天守まで上げたといわれるが…… 一回事故り、多数の犠牲者を出したとも言われている。 |
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二の丸に入るかはいらないかのあたりで細い道がある。 位置的には伝・長谷川邸のあたりだ。 実はこれ、お墓である。 誰のお墓か。 なんと織田信長の次男、信雄とその子孫の墓!!! 一番左が信雄。右に行くにつれて子・孫・ひ孫になる。 よ〜〜く見ればまだ文字も読み取れる(だからわかったのだが 本当は別のところに葬られていたのだが、後にこちらに移動したらしい。 自分の父の城を焼き、その後自分はそこに葬られた…… 信雄の心中はいかに。 二の丸には信長公廟がある。 実はそこにある丸い石は盆山(ハ見寺の御神体。信長自身を模した物)といわれている。 一瞬私はストゥーパを思い出したが。 ちょっと写真に収められない雰囲気。 流石の私もここでは静かにしてました。(全部静かにしてなさい |
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大体安土城というと大手道の写真か、ここを撮る場合が多い。 右手奥が店主に続いている。 周りは木ばかりで景色を楽しむところはない。空が青いなぁ。 |
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蛇石候補その2。 うん、これならまだわかるよ。 ちなみに外にも蛇石候補はある。 先ほどの盆山か、といわれている石が実は蛇石だ、とか。 (でもそうすると安土竣工の時の話には当てはまらないよーな…… あるいは鎮め石として天守の地中奥深くに埋められた、など…… また公開されていないところで、蛇石ではないか、とされている石は数多くある。 |
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何だこのやる気ない応援はぁッッ!!! 「頑張って」って何よねぇ!! その「って」絶対考えながら書かなかったでしょ。 とってつけたような励ましはいらねぇっっ!! 後ろの柵を越えていきたくなりましたがこの安土山、個人の山なのでやめておきました。 (違ったら入る気だコイツ…… |
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天守デ〜ス!! 確かにお話どおり、中央部分の礎石がありません。 このために安土の内部は吹き抜けだったという話が出たらしいですね。 日本の瓦葺で、普通今使われている桟瓦は江戸時代庶民用に作られた、 いわば軽い瓦。 この戦国時代は勿論、お城を建てるにあたり安土城が用いたのは本瓦。 つまり三枚分の重さが一気にかかるわけです。 建物全体ではとてつもない重さになるわけですよ。 そうすると、柱は大きくなるわけです。 柱だけでは地面にめり込むので、礎石を用いる。 それでもめり込むので、したの地面を固めるわけです。 それだけ苦労しなきゃ作れない建物なんですよ。城っていうのは。 当然、吹き抜けにしようものなら、 柱がないってことですから周りの柱への重量もかかるわけです。 それだけではありません、壁を漆喰で固めようとすればさらにその重さもかかります。 当然、無理な話になってくるわけです。 いまあげたのは瓦の話ですが、外にも要因はあります。 まぁ、吹き抜けって夢があるけどね…… なんか奇想天外な信長的イメージにもぴったりだけど…… それは私たちの「夢幻(ゆめまぼろし)」だったわけです。 |
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百々橋方面へ下りて、ハ見寺跡へ着ました。 琵琶湖です!!これは絶景!!! 昔は城のすぐそばまで琵琶湖だったそうです。 琵琶湖どんだけ広いんでしょう。さすが日本一の湖です。 |
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京都の東寺の五重塔もいいけど、 こういう質素な感じの塔も好きです。 門も残っていて、ここはああ、お寺だったのねと思わせる場所です。 ただいきなり段差があるので足元には注意。 |
門からハ見寺を望む。
BGMはNHK大河ドラマ「秀吉」テーマソングで(おいおい
ここまでくればもうおしまいです。
あ、真面目なレポートじゃないなこれ……