建勲神社

アクセス
市バス「建勲神社前」下車。(「船岡山」でも可)
地下鉄で京都駅から15分北大路駅で下車の後、バス

概要
京都の北、船岡山にある神社。本当は「たけいさおじんじゃ」
昔は「建織田社(たけしおりたのやしろ)」とよばれたときもあったらしい。
祭神は織田信長・織田信忠の父子。国家安泰・万民安堵の大生の神だそうだ。
船岡山は平安京の基点となった山。王宮を定める一つの縁起稼ぎ、四神相応の理由になった。
平家物語に「左青龍(せいりょう)、右白虎、前朱雀、後玄武、四神相応の地なり」とあるように
東に青龍(加茂川)西に白虎(山陰道か?)、南に朱雀(巨椋池か?現在は干拓され消滅)北に玄武、つまりこの船岡山が配された。
今でも建勲神社境内に玄武の祠がある。
平安時代には清少納言に「丘は船岡」といわれたり(枕草子)知名度は高い。
戦国時代にも応仁の乱のとき、西軍の陣地がしかれた。後の西陣と呼ばれる元である。
本能寺の変後、秀吉が信長の大法会を大徳寺で七日間行い、その後この船岡山に寺を建てようとし、
天正寺という寺号まで賜ったのに工事は中断。船岡山は信長の霊地として保護され明治まできた。
明治二年に明治天皇が信長に対し神社創立の宣下をくだし、建勲神社と名をもらい、明治八年に社殿を新営。
明治13年に信忠を配祭。

以下、狼木のアホレポート

うわーっっ!!あちこちに織田木瓜がぁv
聖地です。ここは聖地(逝っておしまい
私は神社の裏っかわから入る形になりました
(北参道?から入った
幸せすぎて死にそうです。
こんなものまで見つけました。
「敦盛」については私自身今読んでいる途中です。
この時敦盛16歳
それで50年かぁ?なんてませてるんだ!!
とおもいましたが、これを詠んだのは敦盛の首を取った熊谷。
「敦盛」の有名なシーンですが実は熊ちゃんの歌です。
こんな感じでもう地元の神社さん的な匂いがぷんぷん。
境内もわりと新しい。
でもそのせいか、京都の神社にあってあるまじき神主(?)さん!!
なんてフレンドリーなの??
なんてやさしいの??
この優しさ、ちょっと身にしみました。
写真に写っている建物は神楽などを奉納する場所。
内側には功臣像が飾られています。
平手政秀や柴田勝家、森蘭丸などが飾られているらしいですが
吹きさらしのせいか色が落ちかけてます。
お祭の時に神社の宝物を一般公開しているそうです。
そのときにはもっときれいに保存されているものが見れるらしい……
お祭は7月1日、10月19日、6月30日、などなど。
って、このじき学校だよぉ。
学校休むしかいけないじゃん……
また木瓜紋よぉ!
もう、鼻血でそう。
ごめん狛犬……
目当ては君でなく、君の足元の紋……

とまぁ、閑散としてはいるものの参拝者が多いらしく、駐車場の準備もある。
ペンキの塗りなおしをしていたり、結構神社としては頑張っている模様。

お守りなども売っている。
パンフレットは100円。安い。
最後に船岡山から京都を望んでみる。
結構山とは言えど小さい山なので気軽に登れる。
今の千本通りが昔の朱雀大路である。
写真は南西を向いて取っている。
ちょうど写真の右奥辺りに羅城門があったとおもわれる。
結構きれいな場所だ。
京の町並みと京都の町並みがちょっとずれているのがわかる。