岐阜城

アクセス
JR岐阜駅or名鉄岐阜駅からバスで20分くらい、岐阜公園前で下車。

概要
1201年に二階堂行正という人物が金華山(岐阜県岐阜市。駅からもよ〜くみえる)に砦を構えたのが始まり。
一度は廃城になるものの、齋藤利長(齋藤道三とは別の家系)が修復して居城とした。
クーデターにより齋藤道三の手に落ちると、しばらくは道三の一族の城となるが、斉藤龍興の時代にも反乱がおき、
竹中半兵衛、そして織田信長の手に落ちる。
元は美濃井之口にあったため、井口城といったり、稲葉山城、金華山城といったりした。
信長が中国の故事に倣い「岐阜」と名を改め、この城に入城してから「天下布武」の印を使い始めた話は有名ではあるが、
そもそも信長以前からこの地を「岐阜」「岐陽」と呼ぶ風習もあり、信長が先駆者というわけではない。
高いところが好きな信長は、尾張の城よりも岐阜城を好んだとも言われている。
信長以後、信忠が城主となるが本能寺の変で亡くなると、家臣であった齋藤利堯にのっとられる。
しかし明智光秀が秀吉に敗れると降伏している。
その後も歴史の動乱に巻き込まれ、様々な人間が城主となる。
江戸に入って後、廃城が決まり、天守は加納城に移築された。
信長が天下を夢見て改名した岐阜の名を家康が忌み嫌ったためとも、歴代の有名な城主が不運な死にかたをしているためとも言われている。
なお、難攻不落の名城として名高いが、結局のところ何度も落城を経験しており、また金華山そのものが岩山であるため井戸も掘ることもできず、
篭城には不向きであった。
山城としての城であり、信長そのものは普段はふもとで生活&執務を行っていたという。

以下、狼木のアホレポート

え〜と、今回は初めてのまったく知らない土地一人旅でした。
いつもは友達と行動するのですが、桶狭間の帰り、せっかくここまで来たんだからと名古屋から行って見ましたが……
特急二駅とはいえ、結構名古屋からあります。少なくとも、首都圏在住の感覚からすればですけど。
岐阜駅からもう既にお城が見えてます。昔はビルがなかったことを考えると、どれだけすごい高いところなのかが想像できます。
ちなみに、歩いていこうという考えがほんのちょっとよぎりましたが、バスで20分前後の行程を歩く気にはなれませんでした。
何しろ今回は山、ロープウエイでなく歩くつもりでしたので、体力を温存しておかなくては。

ミニマム岐阜城(違
バスから降りて、岐阜公園に入る直前に見上げてみました。
公園から見てもこのミニマム。
ちょっと登る気がうせました。


ささ、入りますよ。
まずは歴史博物館があるのでそちらへ……

軽くぶん殴りたい(自分を
今日月曜日だよ……
美容室だって休みじゃん(そこか
仕方ないので次の機会に。
は〜い。このオッサン、誰でしょう。
ヒントは髭です。
立派な髭ですよね、思わず襲いたくなる。
はい、正解は板垣退助ですた。
なんかここがかの有名な「板垣死すとも自由は死せず」のところらしいですよ。
初耳〜へ〜4へ〜くらいかな(おい


どうもご丁寧に看板が。
あ〜NHKの陰謀か。そうそう。あれ見たみた。ふ〜ん。昭和60年のドラマか〜
……
今一瞬自分の年齢を疑いました。(狼木は昭和60年生まれ)
き、きっと運命だ。
私がきっと岐阜城と何かつながりがある運命なんだよ(ぇ

さて、板垣のオッサンと分かれて左手にいくと、ロープウエイ乗り場があるのですが、そこに行く途中にこんなものがあります。
残念ながらここには何も史跡が展示はされていません。


あるのはこの有名な若き日の信長というタイトルの銅像。
岩波か何かの日本通史に載ってました。モノホンはじめてみたww


近くにこういういかにもな門がありますが、これは嘘八百。
なんとなく雰囲気出すために作ったらしい。紛らわしいことするなwww


千畳につくと大きな解説の看板があります。みると後々のお勉強にもなりそうな感じでしたので、見ておくとよいでしょう。
ちなみにちっこい子が乗って遊びそうな棒がありますが、これもれっきとした史跡ですので乗らないように。
柱跡があったところに棒を立てて展示(つまり史跡自体は土の中)してるんです。
史跡を残すための工夫ですから、くどいようですが馬とびとかしないようにね。
(写真を撮るちょっと前には幼稚園児がうようよいた)


途中でちょっと掘り下げたところがあり、そこに展示されているのがこの史跡。
小さい石列が織田氏以前の城郭のものらしいです。
織田氏が行ったとみられる巨大な石列の裏にあるそうです。
実際に一度建て直しを織田氏がしていますし、発掘のときに焦土も出たそうです。
戦多き岐阜城、といったところでしょうか(ちなみにここから焦土はわかりません)


入角(いりずみ・ひっこんでるところ)と出角(でずみ・でっぱってるところ)。
わかりますかね〜……出角のほうが微妙に曲がってるの。
このうえにはかなり急勾配の建築物があった証拠らしいですよ。


水路跡。ちょうど谷の中央を流れている形です。
安土城でおなじみの、あの穴太積(あのうづみ。石を切らずに積み、細かい石を間に埋めていく工法)も見ることができます。


これね(たぶん)


さて、お待たせしました。
いよいよ上りましょう。なんとなく名前に惚れたので、馬ノ背登山道で行きます。
……あとで激しく後悔しましたが。


よし、上るぞw

入ってすぐはこんな感じでとっても気軽に登れます。
ハイキングコースといった感じですね。


概要で書いたように、金華山は岩山なんですよね。
よくこんなところに城を建てました。篭城できないじゃん、とか軽く心配していましたが、そのことはあとで。


みなさん、看板の注意はちゃんと聞きましょう。
ついでに20分なんて嘘。40分かかりました。足場わるいです。ほんと。


こんな感じで。


そもそも道か聞きたい。
つか、私は城を見に来たはずなんだが。


カメラさん見下ろしてます。
見下ろして、矢印の先くらいからずーっと登ってきました。
なんか、帰るに帰れなくなったOTL
これ、上れるけど降りられない。
つまりは天守までこの道で行くしかない……


ヤケです。もう、自暴自棄。
なんとなく平手のじいな感じがして親近感が。
ああ、木に親近感持つなんて、もう疲れすぎだ私……

ついたどー!!!!ヽ(ΩДΩ)ノ

今の私なら、何でもできる気がする。。。。。。
途中で知り合ったおじさんとお話できました。おじさんすごい脚だ……60こえてるっていってたけど……
あ、先にちまっと見えてるのが天守の石垣です。


やたら蝶がとんでました。画面にも一匹写りこんでます。
濃姫様がいらっしゃったのかしら。
ちなみに古代の思想では蝶は霊魂の使いだそうです。

さて、天守に上ります。
中はかぶととか展示してあります。
やたら濃姫と信長が仲良かったことを強調していましたが、齋藤氏についても触れていたのでみてて面白かったです。
そして、天守からの眺め。


この絶景、たまりません。
自分ってちっちゃいなぁ、と思いました。
信長がこの城に着てから天下布武を唱え始めたというのも、少しわかる気がします。
(あ〜痛い。天下とか、その辺卒論に取り上げなきゃ汗)


さて、天守から降りて七曲登山道から下山します。
ロープウエイは利用してもよかったのですが、往復1050円、片道600円という高額だったので脚で降ります。
七曲は岐阜城の大手道にあたり、比較的いろいろ見ることができます。
写真は井戸です。岩を斬り、急峻な斜面を下る雨水をためて利用したそうです。
井戸とはいっても、ため池のようなもので、やはり篭城(長期ならば当然)は無理でしょう。

幸せwww(おい
しかし道三の家紋はないのか。


唯一の平坦な場所。岐阜城の馬場であったと想定されてます。
しかし馬場で何が行われていたのかは謎。馬を買っていたとか、射撃の練習をしたとか、いろいろ言われています。


鉄門のあったところ。
片面が岩肌、もう一方は斜面。ここは攻守の要だったそうで、戦国後期の岐阜城落城の際には、激しい戦いがあったそうです、


七曲登山道。
ロープウエイができる前は岐阜城に行くためのメインストリートだっただけあり、整備されています。
結構歩きやすい。


途中でこんな異物を発見しました。
私の足の横にならんでいるものも含め、かわらけという、素焼きのものです。手に取るとよくわかります。
ちなみに足先の大きい赤いものは、断面がカーブを描いていました。

なんか、お城のレポートじゃないなこれ。。。