首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
大柿の城へ後巻の事

11月上旬、大柿の城の近くに軍を進め、斎藤山城道三が攻め寄せてくるのがとり急いで圧し迫っている。そのことについては、出陣しなければならない。
11月17日織田備後守殿が
後巻となって徴兵しなさり、木曽川・飛騨川の川を船で渡り、美濃国へお進みになり、竹が鼻を放火して、あかなべ口へ攻め込み、ところどころ煙を上げたので道三は驚いて虎口をあけて、井の口の居城へ引きかえした。このように時間もかけずに軽がると出陣なさり、お手柄は申し上げられないほどの事だった。
11月20日、この留守の間に、尾張国の清洲のものが備後守殿の古渡の新城へ兵を繰り出し、町口を放火して明らかに敵対している様子を見せた。このようなときに備後守が帰陣なさった。そのため戦にまで及んだ。平手中務丞と、清洲のものの家老、坂井大膳、坂井甚助、河尻与一が話し合いに応じた。清洲の家老たちに和睦するための意見を数多く出したが、平手の調停はなかなかまとまらなかった。翌年の秋の末にお互いに講和して戦はやんだ。その時に平手は大膳、
甚介、河尻へ和睦がめでたいということで、書礼を遣わせ、その橋に古歌を一首載せた。

 
袖ひぢて結びし水のこほれるを春立つけふのかぜや解くらん

と書かれたのをおぼえている。このように、平手中務は少し物事が派手な人である。
後巻=味方を攻め囲む軍を背後から攻める軍。
甚介=甚助か。
<俳句大意>=下参考。

清洲との揉め事がメインである。
齋藤道三に攻められ、城を留守にしている間に清洲衆にも攻められてしまった、ということである。
それで平手が頑張って和睦にもちかけて言った、というところだが、問題はこの俳句である。
何故秋なのに春の歌を歌ったのか。これは平手が派手な爺さんだった、では納得がいかない。

まずこの俳句だが、紀貫之が古今和歌集に載せた一句である。
紀貫之はご存知三十六歌仙の一人で、醍醐、朱雀帝の時代の人である(=平安前期
古今和歌集の選者である。それで、歌の意味なのだが、

「袖を濡らしながら掬った水が冬に凍ってしまった。そうした水が立春の今日の風が溶かしているのだろうか」

という意味で立春の喜びを歌ったものだ。
ちなみに古文の読み方で行けば、「結び」は「掬び」との、「春」は「張る」との、「立つ」は「裁つ」との掛詞、
「袖」と「張る」「裁つ」「結ぶ」「解く」は縁語である。
縁語と掛詞が何か、というのは自分で調べてください。
つまり袖を濡らしながら掬った水が(夏)凍ってしまった(冬)それが解ける(春)という事である。

ここで紀貫之の歌から戦国時代尾張国に戻ろう。
ちなみに1547年の出来事である。
この時、何が行われていたのか。

かの有名な、濃姫のお輿入れ(仮)である。
(仮)というのも、これがお輿入れと言っていいものなのかはかなり疑問視されるので、こうさせてもらう。
この辺りがそのじきであり、清洲との和睦も「信長が美濃へ婿入り」という事が条件にされていることは前に述べた。
ちなみにこの嫁入りは春に執り行われた。

春、である。ではこう読めないか。
平手の頭の中は嫁入り気分だった。だから春の歌を送った。

妙かもしれないが、水が凍ってしまった(冬)を、清洲との仲がにわかに悪くなった冬とすれば
それが解ける春というのも合点がいくのではないか。

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