首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
犬山謀反企てらるゝの事

 ところで、信秀は古渡の城を取り壊し、末盛というところに山城をつくり、そこに住んだ。
 一月十七日に尾張国の上四郡を支配していた織田信清が楽田から徴兵してかすが井原をかけ通り、龍泉寺の所領柏井口へ兵を進め、所々に火を放った。すぐに信秀が末盛から兵を出し、にらみ合い、戦になり、信清の軍を切り崩し数十人討ち取ったのでかすが井原を信清とその兵は逃げてしまった。誰の仕業か知らないが、落書があった。
   
やりなはを引きずりながらひろき野を遠吠えしてぞ逃ぐる犬山
とかかれた板が、所々に立て置かれていた。
やりなはを=犬を引き操る縄を、犬が引きずりながら広い野原を遠吠えして逃げているよ。
犬山=信清である

とりあえず落書とはご存知落書きの事である。
しかし私たちが思うほどその歴史は浅くないのだ。

時の政治などを風刺、批判し、
密告や犯罪の告発にも使われた落書。
平安初頭に貴族の間で行われたのが始まりだ。
嵯峨天皇(9世紀)の「無悪善」、また「此比都ニハヤル物、夜討強盗謀綸旨……」の「二条河原の落書」は言うまでも無く有名である。
その時代や状況を読み解く上では決して軽視は出来ない。
生きた証言なのだ。

落書きにもいろいろあり、密かに人目につきやすい場所に落としておく「落文(おとしぶみ)」
詩歌の形式の「落首」
門戸か壁に書き付けることもあり、この「やりなは」の歌は確かに落書だ。
特定個人を陥れたりすることにも使われ、平安時代には昇任をめぐり官僚たちの泥沼の……
ドラマになりそうである。

今回の「やりなは」は誰が書いたのか定かではないが信秀が勝利の為にかかれたと思われる。
やり縄を引きずっているということは飼われている犬である。
暗に信清はたいしたこと無いといっているのだ。
所詮飼い犬が逃げて走っているだけだ。縄を引きずっていれば捕まえるのも簡単である。
勿論、信秀が負けでもしていたらこの落書はかかれなかったに違いない。

ただしいたずら書きの落書きと、こういった落書は区別されている。
落書きをする場所もいくら問わないとはいえ、文化財などにすると犯罪である。
気をつけられたし。

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