首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
武衛様御生害の事

天文二十二年七月十二日、斯波義銀にお仕えしていた屈強の若い侍は皆岩龍丸の川狩りに出かけてしまい、館の中には老臣がわずかに残る状態になった。誰が館に残っているのかと確認し、坂井大膳、河尻左馬丞、織田三位が話し合いをつめ、今こそチャンスだとして四方からどっと攻め、その館を取り囲んだ。正面の広間の口で、何阿弥と称したか知らないが、その同朋衆の男が他と比べ物にならないほどの働きを見せた。また、はざまの森刑部丞兄弟も斬って戦い、多くの人に怪我をさせたが討死した。首は柴田角内が二つ取った。裏口の方では、柘植宗花という男が多くの人間に切りかかり、これまた比べ物にならないほどの働きをした。この館の主の武衛、斯波義統は四方の屋根の上に弓衆をつめて散々に射させたがかなわず、館に火を放って一門数十人とともに切腹した。御上臈衆は堀に飛び込んで、わたって助かる人もいれば、そのままおぼれて死んでしまうものもいた。哀れな有様である。
義銀は川狩りから、すぐに湯帷子のまま、そのままで信長を頼って那古野へやってきた。信長は200人の兵をつけて天王坊に義銀を入れた。清洲とは主従の仲といいながら、道理のない謀反を考えたため、仏天の加護もなく、こんなにも浅ましくむげむげと死んでしまった。若者を一人、毛利十郎という者を生け捕りにして那古野に送って進上したのだ。自滅とはいうものの、運命とは恐ろしいものだ。館の中で日夜義統に粉骨砕身してお仕えしてきた者達も、いったんは憤りを覚えたがみんな家を焼かれてしまったため、食べ物も衣類にも事欠く有様になってしまった。
同朋衆=舞や謡をする者たち。芸者集団。
何阿弥=余談になるが「〜阿弥」と名がつくのは時宗系。同朋衆に多い。
御上臈衆=女の人。

このあたりは尾張統一に向けた大きな動きのさなかである。
余談にはそれないで出来事を見ていこうとおもう。

斯波義統は緒張の守護である。そしてその守護の留守を守るのが守護代・清洲織田氏の役であった。
が、事実上守護斯波氏の実力はなく、飾り状態であった。
とはいえやはり守護は守護である。尾張のトップにかわりはない。

もうわかるだろう。これは下剋上である。
実力のない守護は守護代にとって目の上のたんこぶであったのだろう。
それだけではなく、信長(那古野織田氏)に働きかけていたのだから相当目の上のたんこぶは大きかっただろう。
隙を突いて清洲織田氏は攻撃をかける。

不意打ちを食らった斯波氏はなすすべもなく敗れてしまう。
本来ならそのまま清洲織田氏(=織田信友)が尾張の大名にのし上がってもおかしくない状況だった。
が実際はそうは行かない。

信長は大義名分を手に入れてしまったのだ。

義銀がなきついてきたことによって「尾張守護・斯波義統を討った逆賊を討つ」といった、清洲織田氏を討つ格好の理由が出来てしまったのだ。
信長はここから着々と清洲織田氏を討つ準備を始める。
虎視眈々と様子を伺い不敵な笑みを浮かべる信長が見えてくるのだ。

退却