首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
織田喜六郎殿御生害の事

一、清洲の城守護代として、織田彦五郎という男がいた。現在いる坂井大膳は小守護代である。坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位は歴々討死したので大膳一人だったが、一人ではこの劣勢を克服するのに難しいので、織田信光に力添えを乞うた。彦五郎と信光両方とも守護代にするというと、信光は坂井大膳の言うことはよい、必ずこの誘いに乗りましょうと七枚起請文を大膳へ送った。
一、四月十九日、守山城の織田信光は清洲城の南櫓へ移った。表向きは起請文どおりだが、実は信長に通じていて、清洲城をのっとるという話を進めていた。尾張国の下四郡を分けるのは於多井川で大体分けている。信光には褒美としてその分けたぶんを約束していた。この信光という男は、信長の伯父である。川西、川東というのは尾張半分のうち、上下ニ郡つつに分ける約束である。
一、四月二十日。坂井大膳は礼を言いに、南櫓へ行った。しかし大膳を殺そうと伏兵を置いていたのだ。大膳は城の中まで入って、凄まじい殺気を感じてさっさと逃げ出して、すぐに駿河まで行って、今川義元を頼った。守護代織田彦五郎につめより、腹を切らせて城をのっとった。そうして信長へ渡し、信光は那古野の城へうつった。
 その年の十一月二十六日、不慮の事故があり、信光は亡くなった。つまりは起請文の天罰だ。運命とは恐ろしいと言い合った。だが、これも信長に政治を行ってもらうためなのだ。
一、6月二十六日、守山城主織田信次は龍泉寺城の麓、松川の渡しのあたりで、若侍たちと川狩りに出ていた。そのときに織田信行の弟秀孝が馬一騎で通った。この信次の前を馬にのって通るとは馬鹿なヤツだと、洲賀才蔵というものが弓をいた。すぐに矢が当たって倒れて、馬上から落ちた。信次をはじめとして川から上がってこの武者をみて、信長の弟の秀孝だとわかった。十五、六歳で肌は白く唇は柔和で、容姿美麗、他人とは比べ物にならないほど美しいので、なかなか人間違いをするようなものではない。これを見てあっと肝を冷やした。信次はとるものもとりあえず、居城守山の城へは戻らず、すぐに鞭をうって、どこかへ逃げてしまった。何年か浪人生活をして、難儀したということだ。すぐに信行はこのことを聞いて末盛の城から守山へ兵を出し、町に火をかけて裸城にしてしまった。
一、信長も清洲から三里一騎だけで一気に駆けて、守山城の入り口、矢田川で馬に水をやっていたところ、犬飼内蔵が来て申し上げた。信次はすぐにどこかへかけ落ちてしまって、城には誰もいません。町は信行殿が放火したと。ここで信長が言うには、我々の弟ともあろう人物が、家来も連れないでただ普通の人間のごとく馬一騎で駆け回っているとは、沙汰の限りだ。たとえ怪我ですんでいても、容赦はしないということだ。そうして清洲に戻った。
 信長は朝夕馬で駆け巡っているので、この度も起伏の激しい土地を駆けても馬はこたえて苦しそうにはしなかった。しかし部下の馬達はいつも馬小屋につないで、常にのるというのはまれであったので、屈強の名馬であっても三里の片道さえ走れず、意気があがり、途中で山田治部左衛門の馬をはじめとして死に損ない、困ってしまった。

いよいよ清洲落城である。

起請文というのは今で言う誓約書である。
が、少し誓約書と違うのはそこに宗教的な意味も含まれているのだ。
まず誰に誓うか。ずばり神様である。そむいたらどんな罰を受けてもよいと書いてあることが多い。
だいたい熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)という紙に書かれている。

元はといえばやはりこれも神事のことであり、神に誓う文章をさす。
それも一枚にかかれる文字数も大体決まっていた。
この戦国期になって、どちらかといえばお互いの約束状態になった起請文に、どこまでお約束があるかはわからない。

大体は一枚かわず程度だが、この信光、七枚分も交わしているあたり、相当大膳に尽くしていたともいえる。

だから天罰が下った、という形でこの記事は信光の死を書いているが、これには信長が関わったとする研究が多い。
実際、天罰云々の前に、七枚分も書いた起請文を破棄する信光を、信長は信用できなかったのだろう。
信長も人間である。いつかは自分が、とおもったのではないだろうか。
そうなると約束の旧清洲領の半分を与えるというのはいやであっただろう。
いい顔しているのは今のうちで、いつかは自分が裏切られるかもしれないと感じていたのではないか。
股文章の書き方も気になる。文章も一応出てくる順番に訳をしているがどうだろうか。
「起請文を破ったのは信長が政治をするため」とも取れるが、
「信光がなくなったのは信長が政治をするため」とも取れなくは無い。

ここで尾張の中枢、清洲を手に入れた信長は尾張統一に向けて一歩前進する。
ところが意外というかある意味予想範囲か、あの人物がついに牙をむくのだ。

退却