首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
三郎五郎殿御謀反の事

 一、信長の異母兄である信広はすでに謀反をおこすことを決めていた。美濃国の斉藤氏と申し合わせていた。内容はこういったものだった。敵が現れた時はいつでも信長は軽々と出陣してしまう。そんな時に、信広が出陣すれば清洲の城下町を通ることになる。すると必ず城に留守を勤めている佐脇藤右衛門が出てきて歓迎してくれる。いつもの通りの事だ。そのとき佐脇を殺して付け入って城をのっとり、合図ののろしを上げる。美濃斎藤勢はそれから川を越して近々と攻め入ってくればいい。信広も兵を出して、味方するかのように見せかけ合戦には参加せず、後ろから攻めかかろうというものだった。
 信長の元に美濃斎藤勢がどこどこからうきうきと兵を進めてきていると進駐があった。信長が言うにはさては家中に謀反があるのではないかということで、佐脇に城から一切出るな、町人も外堀から出るな、木戸を閉めて信長が帰るまで人を入れてはならないといった。そうしていつものように出陣した。
 出陣したことを信広は聞き、兵を集めて清洲へ出陣した。信広が参りましたと申し出たが、入れてもらえないので、まさか謀反がばれているのではないかと不審に思い、急ぎ足で帰った。美濃斎藤勢も引いた。信長も清洲へ帰った。
 一、信広が謀反をあらわにして信長を攻め、小さな戦がたびたび起こった。このような苦悩の時は、味方をする者はまれだ。このように攻められ、たった一人になってしまったが、戦ごとに手柄を上げる屈強の侍衆を700から800ほど信長の元にはせ参じていたので、戦いとなっても、一度も不覚が無かった。

何を題材にしようか迷った(爆

この信広という人物は記事にあるように異母兄である。
信長よりも早く生まれたが、母が正室ではなかった為、嫡子となることができなかったという。

さて、このじき信長は孤立無援状態に陥っている。
一応齋藤道三という後ろ盾があるとは言えども、当時道三は隠居しており、
齋藤義龍が美濃国主ということになっている。
代が変われば同盟の内容が白紙になる、なんてことはざらにある話で、
(もちろん、かわらなくても同盟自体信用に足らない時代である)
道三という後ろ盾がいかに弱くなったかが伺える。

事実、信長と同じくして道三も孤立無援状態になっていた。
1556年といえば道三最期の年である。
この頃には息子義龍との対立が決定的なものとなっていたはずだ。
道三の政治は家臣たちの恐怖心を煽っており、いつの間にか美濃の家臣の殆どが義龍側に立っていたのだ。
よって、この信長の危機を救えるほどの余裕は無い。

つまり、信長が美濃齋藤勢が集まりだしているという知らせ一つで信広の謀反を悟ったわけはこうである。
道三のいるはずの美濃から兵が来る。昨年度息子に謀反された状態の道三には抑える力がない。
……ひょっとしたら、美濃国の内擾に便乗して、尾張でもあるのかもしれない。
いや、きっとあるだろう。まだ尾張をまとめきっていないのだから。
そうすると……信行はこの間赦免したばかりだ。
美濃勢が来る……敵が侵入し自分が出陣したさい、清洲に来るのは……

……そう考えるのであれば自然な結論である。
信長は覇王だ魔王だ、IQが高いだなど世間では言われているが、信長も一人の人間である。
おならもすれば欠伸もする。
当時の人から見れば突拍子もないことをする人間であるし、前代未聞の事をやってのける力はすごいが、
あまりかいかぶるのもどうだろう。

退却