首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
六人衆と云ふ事

 「鷹狩りのときは、二十人、鳥見の衆という人たちに申しつけ、二里三里先へ行かせ、あそこの村、ここの在所に鷹がいる、鶴がいると、一人は鳥に目を見張らせ、もう一人に報告するようにしていた。また、六人衆というものを定めた。
 弓は三人。
浅野又右衛門、太田又介、堀田孫七、以上。
 槍は三人。
伊藤清蔵、城戸小左衛門、堀田左内、以上。
この六人はいつも信長のそばに仕えていた。
 一、馬衆の一人である、山口太郎兵衛という者が、鐙にわらを付けて、鳥の周りをそろりそろりと乗り回しながら、次第に近寄った。信長は鷹を据えて、鳥に見つからないように馬の影に潜みながら近寄った。近寄ってから、走り出て鷹を放つ。農夫のような格好をさせ、鍬を持たせ、田を耕しているように見せかけるものを向待といい、これを付けるのを信長は決めていた。鷹が獲物を捕まえて、組み合っているところを向待が鳥をおさえる。信長は鷹狩りが上手なためよく獲物を手に入れることができる。」と天沢は信玄に言った。すると、「信長の戦ぶりが知られているのはもっともな事だ」と、納得した様子であった。いとまごいをと天沢が言うと、帰りに必ず立ち寄りなさいと信玄が言った。そうして信玄の前を去ったのだと、天沢が言っていた。

天沢の自慢話パート2(ぇ
ここで珍しく太田牛一の話が出ている。
彼の記述が少ないため、これがかなり貴重になるのだが、まぁそこはおいといて。

信長の鷹狩りが好きなのはよくよく言われていたが、ここで細かくやり方が出ている。
もとのほうに「わらをあぶ付に仕り候て」とあるのが難読でした。
とにかく馬の影に信長が潜んでいるわけだ。この馬も、鳥が警戒しないような様子にしているのだろう。
向待というものも農夫の格好をしているわけだから、そう考えてみて、馬具である鐙の部分にわらを用いたか、
または鐙にわらを付けたのか、または力韋(ちからがわ。逆靼(げきそ)。鐙を鞍に連結するためのベルト)にわらを用いたか。
いずれではないか。

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