首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
鳴海の城へ御取出の事

 尾張国に今川義元が進入してきているというのが、信長の中で大きな悩みになっているとうわさが立っている。
 一、鳴海の城は南側は
黒末の川の入海へと注ぐ河口付近にあり、城下はその河口まで続いている。東には谷あいがつづき、西は深田である。北東には山が連なっている。城から20町隔てたろころに、丹下という古屋敷がある。ここに砦をつくって、
水野帯刀、山口ゑびの丞、拓植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、伴十左衛門尉をおいた。
東に善照寺という古跡があり、ここも砦にぴったりだったので、佐久間右衛門と、その舎弟の左京助をいれさせた。南には中島という小さな村があったので、そこにも砦を作り、梶川平左衛門をおいた。
 一、黒末川の河口をはさんで鳴海、大高の城があるが、この間を切って、砦を二箇所作らせた。
 一、丸根山には佐久間盛重をおいた。
 一、鷲津山には織田玄蕃、飯尾近江守父子を入れた。
黒松の川=現在の天白川。鳴海の城は根古屋城址。

ここは地理的な話が多いので、地図とにらめっこしたほうがわかりやすい。
ということで、マピオンから地図を借りてきました。
ちょうど十字印のところが根古屋城址公園、つまり鳴海の城です。
まず、黒末の川は地図上で見ると、天白川に相当する。
現在は切り開かれているので、地図上町が広がっているが、この地形的なものは他の地図を見なければならない。
厳密に見たい方は自分で地図を探してください。
一応私は見たけど、乗せていいのかわからないので掲載はさけておきます。
あ、インターネットだと見れませんでしたよ。図書館に行ってください(笑

なぜここで色々地形についてあげられているかというと、どれだけ鳴海の城が要害だったかという事を述べたかったからだ。
鳴海、大高の城といえば、今川勢にとられている城である。信長が攻めにくいと感じていた事を強調したかったのかもしれない。
谷あいや、山、川は自然の要害となり、城作りにちょうどよい。では深田とは何か。
泥の多い田んぼである。
拡大してもらえばわかるが、鳴海の城の西側はちょうど川の合流地点で、現在は下水処理場がある。
このようなところではたびたび水害が起きたことが予想されるし、おそらく収穫はあまりあがらない田んぼであっただろう。
免田であった可能性も高い。
(免田=租の支払いを許された田んぼ)
深田というのは「ふけ」「ふけた」ともよみ、深田に入るにはかんじきという、足が泥に沈まないものを履いてから入るらしい。
それほど泥深い田んぼが広がっていれば、馬で来ても足軽でも足をとられ、進軍ままらない。
深田も立派な要害になる。

このように領国内に敵が侵入した状態で、領民の支持は得られにくい。
となれば戦への参加も少なくなり、当然悪循環が始まる。
信長は必死にこの両城を分断し、何とか今川勢を払おうとしている。
できればこの城をうまいこと攻め落とし、今川本軍を領内へ入れたくないという思いがあったのかもしれない。

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