首巻 是は信長御入洛無き以前の双紙なり(これは信長公がご入洛なさる前の記録である)
   
丹羽兵蔵御忠節の事

 一、信長が京へ上洛すると急に仰せになり、御供を80人ほどお集めになり、上京された。京の都、奈良、堺を見物した。
 足利義輝に挨拶をしていくと仰せになり、京に立ち寄った。今がハレの日であるということで、車を大のし付に拵えて、御供していた者達も皆のし付に装った。
 清洲の那古野弥五郎の家中に丹羽兵蔵という機転のきく者がいた。信長の後を追って上洛する途中、近江志那の渡しでどうも様子がおかしい人物5.6人に率いられた30人ばかりの集団に遭遇した。この一団が乗っている船に乗った。「どこに住んでいる者だ」とたずねられたので、丹羽は「三河国だ。尾張国を通ろうとしたが、今川に仕えている身であるから気を使いながら通ってきたのだ」と答えた。すると「信長は甲斐性無しよ」と言った。いかにも人目を忍ぶ様子に見えた。語る言葉もなにやら怪しいので不審におもい、気をつけ彼らが泊まるという傍の宿を借り、機転の利く子供を手なずけた。子供が「京への道中で湯につかりに着たの?おじさん誰?」とたずねると、丹羽が三河の者だと言うのに心を許したのか、子供に対して「湯につかりに着たのではないぞ。美濃国の斎藤義龍様から大事な用事を受けてきたのだ。信長の討手に選ばれたのだ」と言った。
 小池吉内、平美作、近松田面、宮川八右衛門、野木次左衛門
 と言う面子であった。夜に供の衆にまぎれて近づいて聞いてみると「公方の覚書さえもらって信長の宿の者にわたせば、鉄砲で討ち取っても問題はないだろう」と言っていた。急いだのですぐに夜京に着いた。二条たこ薬師のあたりに宿を取った。夜中のことであったため、丹羽は宿の門柱左右を削って目印をつけ、それから信長の宿を尋ね歩くと、室町通上京裏辻であることがわかった。たどり着き、門をたたくと門番が置かれていた。「尾張から使いとして上ってきた。火急の用だ。金森殿か蜂屋殿にお取次ぎしてくれ」と言った。両人が出てきて対面し、今までのことを一つ一つねんごろに申し上げた。すると信長が出てきて、「討ち手の宿を特定できているか」と尋ねた。「二条たこ薬師の一つところです。門柱に削りがけをしてきたので間違えることはありません」と申し上げた。それから談合し、夜が明けた。討ち手の美濃衆は金森が知っている者達であったので、早朝に討ち手の宿へいくように仰せ付けられた。丹羽兵蔵も一行に召され、その宿の裏がわからそっと入り、一行に対面した。「夕べ貴方たちと上洛してきたときの言葉、信長公も知っているので挨拶に参りました。是非信長公へ返礼なされよ」と金森が言った。丹羽が通告したことを知らせた。彼らは表情を変えひどく仰天した。翌日、美濃衆は小川表の管領屋敷に参上した。信長も裁売から小川表見物と称して出てきた。ここで対面し、言葉をかけられた。「お前達は信長の討ち手に選ばれたらしいな。未熟者が主からの命令一つで信長を狙う事、蟷螂の斧というものよ。かなわぬ。しかしながら、ここでやってみるか?」と仰せられると、六人ともこまってしまった。京童は褒貶した。ある者は大将の言うことではないといい、またあるものは若い大将には似合っていると言った。53日過ぎて信長は守山まで下った。翌日雨が降っていたが払暁に出発し、相谷から八風峠を越えれば、清洲までは27里である。その日の午前四時ごろに寄清洲へ帰った。

ながいなぁ、とかもう考えません。
気づけば最近そんな一言で毎回始まってますね。すみません。

さて、ちょっと本腰入れて取り掛かりたいお題なのですね、これ。
丹羽さんはどうでもいいんです。問題は上京ルート。
とりあえず言いたいことを描いてみた図を載せて見ます。

(YAHOO!JAPANより地図を借りました)
三つルートがあります。
おおよそですが、こんなルートがあるんですね。
実は街道筋のことを考えるともっとたくさんあるんですよ。
当時はまだ街道としてはありませんでしたが江戸になって作られたものとか。
調べると結構楽しいです。

ま、そんな話はおいといて。

久しぶりの更新なので張り切っていきます。

本当は美濃・関が原ルートが難所がなくて一番安全なのですが、斉藤義龍がねばっている勢力化を通ることになります。
なのでここは信長にとって「通りたくても通れない」そんなところだったんですね。
じゃあどうするか。
難所を通るしかないのです。
それで描かれている「あひ谷」「はふつ峠」を通るルートが書かれています。
八風峠は近江や清洲を行きかう商人たちが使った街道筋で、江戸時代になってからもよく使われたそうです。
現在は近くの国道をみんな使っちゃうので緑に埋もれた山道となってます。

実際に歩いた人の話では、「一日で清洲まで無理!」とのこと。
よっぽど鍛えてたんですね、信長。
それ以前にすぐ車に乗ってしまう私たち現代人の体力のせいでしょうか。
いつか私も信長に挑戦してみたいです。遭難しそうだけど。

ちなみに一番下に書いた「千種越えルート」は後に信長が杉谷禅住坊に狙撃されるルートです。
主に上洛するとき信長はこのルートを使います。

退却