信長公記 人物事典

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 尚、信長公記の現代語訳と同時に行いますので未出の武将もいます。
 登場の欄の数字は現代語訳と照らし合わせてください。

首巻

名前 登場 そのときの名前 経歴 補足
織田信安 1 織田伊勢守 - 織田伊勢入道常松(信広・郷広)の末裔。
岩倉に城を持つ。
31 織田伊勢守 義龍と図り挙兵。
織田達勝 1 織田大和守 - 清洲に城を持つ。信友の父。
斯波義統 1.
13
武衛様 - 尾張守護職。斯波氏は応仁の乱後勢力を弱め、実質的な尾張の支配権は守護代の織田家にあった。
足利幕府でも重職にあったため、ほとんど在京していたからである。
14 武衛様 清洲の変。切腹。
織田寛故 1 織田因幡守 - 清洲織田氏の重臣。三奉行の一人。
4 織田因幡守 美濃国へ出征。討死。
織田藤左衛門 1 織田藤左衛門 - 清洲織田氏の重臣。三奉行の一人。
織田信秀 1 織田弾正忠 - 清洲織田氏の重臣。三奉行の一人。信長の父。
備後守
2 備後守 あづき坂合戦を行う。
4 備後殿 美濃国へ出征。
6 織田備後殿 大柿城へ後巻。
8 備後殿 古渡城を壊し、末盛に移る。
9 備後守 病死。
織田良信 1 西厳 - 信長の曽祖父。材厳とも。弾左衛門、弾正忠。
織田信定 1 月厳 - 信長の祖父。信貞、弾正忠。霜台とも。
織田信康 1 与二郎殿 - 信秀の弟。信長の叔父
2 与二郎殿 あづき坂合戦に参加。
4 与次郎 美濃国へ出征。討死。
織田信光 1 孫三郎殿 - 信秀の弟。信長の叔父。小豆坂の七本槍の一人。守山城に居。
2.8 孫三郎殿 あづき坂合戦に参加。
12 孫三郎 深田・松葉城で信長に援軍。
16 孫三郎 村木の戦いに出る。裏門を攻撃。
17 織田孫三郎 清洲落城。手柄あったがその後死亡。
織田信実 1 四郎次郎殿 - 信秀の弟。信長の叔父
2 四郎次郎殿 あづき坂合戦に参加。
織田信次? 1 右衛門尉 - -
織田信長 1 織田吉法師殿 - ……信長。あの信長。
3 織田三郎信長 元服する
9 三郎信長公 父の葬式に出る。
10 織田上総介殿 正徳寺の会見。
上総介公
12 織田上総介信長 深田・松葉城をとられる
16 織田上総介信長 村木の戦いで鉄砲を使う。
17 織田上総介信長 清洲落城清洲に移る。
18 上総介殿、信長公 信行に謀反を起こされる。が許す。
19 上総介殿、信長 信広に謀反を起こされる。難を逃れる。
20 上総介殿 天人になって踊った。
24 信長 桶狭間合戦。今川軍に勝利
25 信長公 三河の城に攻め込み、田畑薙ぎ。
上総介信長公 信行を仮病を装い暗殺。
26 上総介 上京。義輝に謁見する。
27 上総介 蛇がへ。
信長様 佐々成政の謀反疑惑。
28 信長公 火起請を取り済まし、左介を成敗する。
上総介殿
31 信長 大良の戦いでしんがりをする。
32 上総介殿 吉良と斯波の会合で斯波の供をする。斯波を国主とする。
林秀貞 1 林新五郎 信長の守役に抜擢。 織田家家老。
9 信秀の葬式に出る。
16 林新五郎 村木の戦い欠席。
18 林佐渡守 謀反。許される。
平手政秀 1 平手中務丞 信長の守役に抜擢。 織田家家老。清秀、狛千代丸、五郎左衛門尉、長門守、従五位上、中務大輔など。
母親は舎人三河守輝秀の娘。明応元年五月十日生まれ。
愛知郡荒子、春日井郡小木、志賀城主。政秀寺殿功庵宗忠大居士。
6 平手中務丞 清洲との会合。
7 平手中務 美濃国との縁談に成功。
9 平手 信秀の葬式に出る。
平手中務丞 切腹。
青山与三右衛門 1 青山与三右衛門 信長の守役に抜擢。 -
4 青山与三右衛門 美濃国へ出征。討死。
内藤勝介 1 内藤勝介 信長の守役に抜擢。 -
2 内藤勝介 あづき坂合戦に参加。手柄を立てる。
9 内藤 信秀の葬式に出る。
11 内藤勝介 三の山赤塚合戦に足軽衆として参戦。
討死。
山田弥右衛門 1 山田弥右衛門 那古野城の経理担当に抜擢。 -
由原 2 駿河の由原 今川軍の先方 -
織田信房 2 織田酒造丞 あづき坂合戦に参加。槍傷を受ける 桶狭間で討死??小豆坂の七本槍の一人。
18 織田造酒丞 稲生の戦いに参加。
那古野弥五郎 2 那古野弥五郎 あづき坂合戦に参加。討死。 清洲州であった。後に子孫とおもわれる同姓のものがでてくる。
下方貞清 2 下方左近 あづき坂合戦に参加。 小豆坂の七本槍の一人。弥三郎、左近、匡範など。
大永七年、上野城で生まれる。信長に仕えた後、松平忠吉につかえる。
慶長十一年七月四日、清洲城中で亡くなる。永弘院心源浄広居士。
佐々政次 2 佐々隼人正 あづき坂合戦に参加。 佐々成政の兄。佐々成吉勝通、正六位下、隼人佑ともなど。小豆坂の七本槍の一人。
薦義相忠善誉大居士。
24 佐々隼人正 桶狭間合戦。先鋒隊。討死。
佐々成経 2 佐々孫助 あづき坂合戦に参加。 佐々成次の弟、成政の兄。小豆坂の七本槍の一人。
大永六年、井関城で生まれる。
18 佐々孫介 稲生の戦いに参加。討死。
中野重吉 2 中野又兵衛 あづき坂合戦に参加。 小豆坂の七本槍の一人(なんと16歳!!)。他に岡田重善。
母は川尻氏の娘。信長の後秀吉に仕え、弓足軽70人を預かる。
秀次に付属、秀次自害の後は浪人する。学雲院殿宗参大禅定門(学雲宗参居士)
妻は今川治部大輔義元弟今川左馬助氏豊の娘。
赤川景弘 2 赤川彦右衛門 あづき坂合戦に参加。 -
神戸市左衛門 2 神戸市左衛門 あづき坂合戦に参加。 -
永田次郎右衛門 2 永田次郎右衛門 あづき坂合戦に参加。 -
山口教継 2 山口左馬助 あづき坂合戦に参加。 -
11 山口左馬助 謀反。三の山赤塚合戦。
20 山口左馬助 今川に出向いたところ、切腹させられる。
齋藤道三 4 齋藤山城道三 信秀と戦う。 信長の義理の父。西村勘九郎、松波庄五郎、長井新九郎、長井規秀、斉藤利政、秀龍など様々な名をもつ。
正室は明智光秀の伯母の小見の方。娘の帰蝶(鷺山殿、濃姫)は信長の正室であり、道三と信長は舅婿の関係である。
生誕地はわからず、前半生もわからないことは多い。
最近では油売りから武士になるまでを道三の父の所業であるとし、道三が行った下剋上は実は親子二代にわたるものとされている。
美濃守護の土岐氏の重臣、長井氏にまずは使え、長井氏を継いだ後土岐政頼を追放し、権力を得、齋藤氏として君臨したという。
その後また土岐氏を追放するが、その落ち延びた先が朝倉、織田であったため、両者から美濃回復の大義名分を掲げられ、攻められる。
道三は勝利するものの、これらと戦うことの不利を痛感し、織田との同盟を結んでいる。
剃髪した後は鷺山城に隠居するが、子義龍との不和により挙兵される。旧来のつながりを重視する旧土岐家臣から見れば仇敵であったため、長良川の戦いでは寡兵となり、信長が戦場に駆けつける前に戦死。
5.6 山城道三 大柿へ攻め込む。
10 齋藤山城道三 正徳寺の会見。
山城
16 齋藤山城道三 信長に援軍。
30 山城道三 長良川の戦い。討死
織田主水正 4 織田主水正 美濃国へ出征。討死。 -
千秋紀伊守 4.5 千秋紀伊守 美濃国へ出征。討死。 熱田神宮の宮司の筋。景清の刀「あざ丸」を所持。
毛利十郎 4 毛利十郎 美濃国へ出征。討死。 -
寺沢又八 4 寺沢又八 - 家老。
毛利藤九郎 4 毛利藤九郎 美濃国へ出征。討死。 寺沢又八の弟。斯波氏一族の毛利家と思われる。
岩崎喜三郎 4 岩崎喜三郎 美濃国へ出征。討死。 -
織田寛継 5 織田播磨守 大柿城主。 織田寛故の子。
陰山掃部助 5 陰山掃部助 - あざ丸を所持。失明。
丹羽長秀 5 惟住五郎左衛門 - 柴田勝家と並ぶ織田の武将。あざ丸を所持していたが熱田神宮へ進納。
万千代、五郎左衛門、越前守。天文四年、児玉村に生まれる。
天正三年(四年)惟住姓を賜る。妻は織田大隈守信広の娘。
坂井大膳 6 坂井大膳 - 清洲の家老。
12 坂井大膳 謀反。深田・松葉城。
14 坂井大膳 清洲の変。義統を滅ぼす。
17 坂井大膳 清洲落城。駿河へ落ち延びる。
坂井甚助 6 坂井甚助 - 清洲の家老。坂井大膳の弟。
12 坂井甚介 謀反。深田・松葉城。討死。
河尻与一 6 河尻与一 - 清洲の家老。
12 河尻与一 謀反。深田・松葉城
14 河尻左馬丞 清洲の変。義統を滅ぼす。
15 河尻左馬丞 中市場合戦。討死。
濃姫 7 道三が息女 信長に輿入れ 帰蝶、奇蝶、胡蝶など。後の安土殿か?鷺山殿と呼ばれたらしい。
市川大介 7 市川大介 - 信長の弓の師。
橋本一巴 7 橋本一巴 - 信長の鉄砲の師。
平田三位 7 平田三位 - 信長の兵法の師。
青山 9 青山 信秀の葬式に出る。 青山与三右衛門の子か?
織田信行 9 勘十郎 信秀の葬式に出る。 信秀の子、信長の弟一般に信行と流布しているが、自己発給文書では信勝、達成、信成しか確認できていない。
末森城主。子に津田信澄、織田信兼など。
一時期代々の当主が名乗ってきた弾正忠の官途を信長を差し置いて名乗り、家中で信長の唯一の対抗者となった。
17 勘十郎殿 弟の死に守山を焼く。
18 勘十郎殿 謀反。許される。
25 勘十郎殿 謀反企てるが信長に発覚、殺される。
柴田勝家 9 柴田権六 信秀の葬式に出る。 織田家臣団の筆頭。元来、武骨の性格で鬼柴田、かかれ柴田とも呼ばれた。
籠城中に水瓶を割って背水の陣で抗戦に臨んだことから瓶割り柴田とも。通称権六、権六郎。
出自は不明だが守護斯波氏関連か。
信長の死後、織田氏の後継者問題で信長の三男・織田信孝を推して羽柴秀吉と対立。
1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄にて妻お市とともに自害。
辞世の句は、「夏の夜の 夢路儚き 後の名を 雲井にあげよ 山不如」。
菩提寺は西光寺と幡岳寺。
位牌も現存している。
12 柴田権六 坂井甚助の首を取る。
15 柴田権六 清洲へ出征。
18 柴田権六 守山城を攻める。
信長に謀反。許される
25 柴田権六 信行らの謀反を通報。
佐久間重盛 9 佐久間大学 信秀の葬式に出る。 -
18 佐久間大学 反信長勢力にうってでる。
佐久間大学 稲生の戦いに参加、討死。
24 佐久間大学 桶狭間合戦。丸根砦を守り戦死。
佐久間信盛 9 佐久間次右衛門 信秀の葬式に出る。 佐久間信盛は「右衛門」であり「次右衛門」ではない。誤記か。
18 佐久間右衛門 守山城を開城させる。
長谷川 9 長谷川 信秀の葬式に出る。 -
山田 9 山田 信秀の葬式に出る。 -
平手久秀 9 五郎右衛門 - 駿馬を所持していた。
平手汎秀? 9 監物 - 汎秀は政秀の三男と書かれているが久秀の子、つまり政秀の孫とするものもあるため不明。
三方が原で必ずといっていいほどでてくる武将だがよくわからない。
平手汎秀? 9 甚左衛門 -
堀田道空 10 堀田道空 正徳寺の会見に従。 -
20 堀田道空 庭が盆踊り会場になる。
春日丹後 10 春日丹後 正徳寺の会見に従。 -
猪子兵介 10 猪子兵介 正徳寺の会見に従。 -
山口教吉 11 九郎二郎 謀反。三の山赤塚合戦。 山口教継の子。
20 山口九郎次郎 今川に出向いたところ、切腹させられる。
葛山 11 かづら山 笹寺に進駐。 今川氏武将。氏広か氏元ではないか。
岡部元信 11、
20
岡部五郎兵衛 笹寺に進駐。 今川氏武将。
24 岡部五郎兵衛 鳴海城に立てこもるが降参。
三浦左馬助 11 三浦左馬助 笹寺に進駐。 今川氏武将。朝比奈氏と並び今川の「両家老」と呼ばれる。
飯尾豊前守 11 飯尾豊前守 笹寺に進駐。 今川氏武将。
浅井小四郎 11 浅井小四郎 笹寺に進駐。 今川氏武将。
清水又十郎 11 清水又十郎 山口方足軽。 -
柘植宗十郎 11 柘植宗十郎 山口方足軽。 -
中村与八郎 11 中村与八郎 山口方足軽。 -
荻原助十郎 11 荻原助十郎 山口方足軽。討死。 -
成田弥六 11 成田弥六 山口方足軽。 -
芝山甚太郎 11 芝山甚太郎 山口方足軽。 -
中島又二郎 11 中島又二郎 山口方足軽。 -
祖父江久介 11 祖父江久介 山口方足軽。討死。 -
横江孫八 11 横江孫八 山口方足軽。討死。 -
荒川又蔵 11 あら川又蔵 山口方足軽。生け捕られる。 -
荒川与十郎 11 あら川与十郎 織田方足軽。 -
荒川喜右衛門 11 あら川喜右衛門 織田方足軽。 -
蜂屋般若介 11 蜂屋般若介 織田方足軽。 -
26 蜂屋 信長について上京。
長谷川挨介 11 長谷川挨介 織田方足軽。 -
青山藤六 11 青山藤六 織田方足軽。 -
戸田宗二郎 11 戸田宗二郎 織田方足軽。 -
賀藤助丞 11 賀藤助丞 織田方足軽。 -
赤川平七 11 赤川平七 織田方。生け捕られる。 -
織田三位 12 織田三位 謀反。深田・松葉城 清洲方武将。
14 織田三位 清洲の変。義統を滅ぼす。
15 織田三位 中市場合戦。討死。
赤瀬清六 12 赤瀬清六 坂井甚助と決、討死。 信清の小姓。
中条小一郎 12 中条小一郎 坂井甚助の首を取る。 -
坂井彦左衛門 12 坂井彦左衛門 討死 -
黒部源介 12 黒部源介 討死 -
野村 12 野村 討死 -
海老半兵衛 12 海老半兵衛 討死 -
乾丹波守 12 乾丹波守 討死 -
山口勘兵衛 12 山口勘兵衛 討死 -
堤伊与 12 堤伊与 討死 -
赤林孫七 12 赤林孫七 松葉口で手柄 -
土蔵弥介 12 土蔵弥介 松葉口で手柄 -
足立清六 12 足立清六 松葉口で手柄 -
伊藤弥三郎 12 伊藤弥三郎 討死 -
小坂井久蔵 12 小坂井久蔵 討死 -
梁田広正 13 梁田弥次右衛門 清洲分断に成功。 父も織田家に士官。父は桶狭間の時に一人賛成したという。
那古野弥五郎 13 那古野弥五郎 清洲分断に成功。 あづき坂合戦で討死した那古野弥五郎の子か?
斯波義銀 14 若武衛様 清洲の変。信長を頼る。 岩龍丸。義統の子。
32 武衛様 三河国上野原で吉良と会合。
14 何あみ 清洲の変。手柄あり。 同朋衆。
森刑部丞兄弟 14 森刑部丞兄弟 清洲の変。手柄あり。二人とも討死。 兄弟で斯波氏を守った。
柴田角内 14 柴田角内 清洲の変。森刑部兄弟の首を取る。 -
柘植宗花 14 柘植宗花 清洲の変。手柄あり。 -
毛利十郎 14 毛利十郎 清洲の変で生け捕られる。 美濃国へ出征して死んだ毛利十郎の子か?
安孫子右京亮 15 安孫子右京亮 中市場合戦。足軽。 -
藤江九蔵 15 藤江九蔵 中市場合戦。足軽。 -
太田牛一 15 太田又助 中市場合戦。足軽。 信長公記の作者。
22 太田又介 六人衆の弓持ち。
木村源五 15 木村源五 中市場合戦。足軽。 -
芝崎孫三 15 芝崎孫三 中市場合戦。足軽。 -
山田七郎五郎 15 山田七郎五郎 中市場合戦。足軽。 -
15 原殿 中市場合戦。討死。 -
雑賀修理 15 雑賀殿 中市場合戦。討死。 -
八板 15 八板 中市場合戦。討死。 -
高北 15 高北 中市場合戦。討死。 -
古沢七郎左衛門 15 古沢七郎左衛門 中市場合戦。討死。 -
浅野九蔵 15 浅野九蔵 中市場合戦。討死。 -
由宇喜一 15 由宇喜一 中市場合戦。織田三位の首を取る。 斯波義統の勢力。
水野忠政 16 水野金五 村木の戦いに出る。
表門を攻める。事後処理に当たる。
徳川家康母・御於の方の異母兄・水野信元とする説も。
水野下野守
安藤守就 16 安藤伊賀守 道三の援軍の大将として尾張へ 美濃三人衆の一人。
田宮 16 田宮 道三の援軍 -
甲山 16 甲山 道三の援軍 -
安斎 16 安斎 道三の援軍 -
熊沢 16 熊沢 道三の援軍 -
物取新五 16 物取新五 道三の援軍 -
林美作守 16 林美作守 村木の戦いに欠席。 林秀貞の弟。
前田与十郎 16 前田与十郎 - 前田利家の一族ではあるが関係は不明。
織田彦五郎 17 織田彦五郎 清洲落城。切腹。 清洲城守護代。
織田秀孝 17 織田喜六郎 射殺。 信長・信行の弟。容姿端麗だったらしい。
織田信次 17、18 織田孫十郎 秀孝を射殺。逃げる。 信光の弟
洲賀才蔵 17 洲賀才蔵 秀孝を射殺。 -
角田新五 18 角田新五 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
信時を殺害。稲生の戦いで戦死。
高橋与四郎 18 高橋与四郎 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
喜多野下野守 18 喜多野下野守 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
坂井七郎左衛門 18 坂井七郎左衛門 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
坂井喜左衛門 18 坂井喜左衛門 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
坂井孫平次 18 坂井孫平次 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
信時に寵愛される。
岩崎丹波源六 18 岩崎丹波源六 守山城に立て籠もる。 信次の家老。
角田謀反の後、城を堅固にする。
津々木蔵人 18 津々木蔵人 守山城を攻める。 信行の寵臣。
勝家とともに謀反、許される
25 津々木蔵人 勝家と対立。
飯尾定宗 18 飯尾近江守 守山城を攻める。信長の武将。 -
飯尾尚清 18 飯尾讃岐守 守山城を攻める。信長の武将。 -
織田信広 18 織田三郎五郎 - 信長の異母兄。
19 三郎五郎殿 謀反を起こす。失敗する。
織田信時 18 安房守 守山城主になる。 信長の異母兄弟。信長の兄(信秀二男)とする説、信長の弟(信秀六男)とする説あり。
謀反にあい自刃。
林美作守 18 林美作守 謀反。信長自身に首を取られる。 林秀貞の弟。
織田勝左衛門 18 織田勝左衛門 稲生の戦いに参加。 -
森可成 18 森三左衛門 稲生の戦いに参加。 森蘭丸の父。最初は美濃斎藤氏に仕えていたとも言われるが、
清洲城攻めの時にはすでに参戦している。
31 森三左衛門 大良の戦いで負傷
神戸平四郎 18 かうべ平四郎 稲生の戦いに参加。討死。 -
黒田半平 18 黒田半平 稲生の戦いに参加。左手首を切られる。 -
杉左衛門 18 ぐちう杉若 稲生の戦いに参加。手柄を立てる 織田勝左衛門の小姓。
鎌田助丞 18 鎌田助丞 稲生の戦いに参加、討死。 -
津田左馬丞 18 津田左馬丞 稲生の戦いに参加、討死。 -
富野左京進 18 富野左京進 稲生の戦いに参加、討死。 -
高畠三右衛門 18 高畠三右衛門 稲生の戦いに参加、討死。 -
山口又次郎 18 山口又次郎 稲生の戦いに参加、討死。 -
木全六郎三郎 18 木全六郎三郎 稲生の戦いに参加、討死。 -
橋本十郎 18 橋本十郎 稲生の戦いに参加、討死。 -
松浦亀介 18 松浦亀介 稲生の戦いに参加、討死。 -
大脇虎蔵 18 大脇虎蔵 稲生の戦いに参加、討死。 -
土田御前 18 信長の御袋様 信長に詫び言を申し入れる。 信長の生母。不仲であったとも言われるが、ただ単に気が弱かったとも。
25 御袋様 信行に信長の見舞いを進める。
村井貞勝 18 村井長門 土田御前の使いになる。 信長の奉公衆
島田秀順 18 島田所之助 土田御前の使いになる。 信長の奉公衆
佐脇藤右衛門 19 佐脇藤右衛門 信長の家臣。清洲城を守る。 「武功夜話」には「藤左衛門」とある。
「永禄六年諸役人付」には佐脇上野介が信長ら戦国大名と一緒に記載され、
幕府からは独立した存在として扱われていたようだ。
前田利昌の子藤八郎良之(利家の弟)を養子にする。
平手内膳 20 平手内膳 信長の家臣。赤鬼になって踊った。 -
浅井備中守 20 浅井備中守 信長の家臣。黒鬼になって踊った。 熱田神宮宮司の筋の千秋季信に自分の娘を嫁がせる。稲生の戦いなどで戦功あり。
滝川一益 20 滝川左近 餓鬼になって踊った。 信長の家臣団。甲賀出身らしいが、忍者の家とするのは誤り。
織田太郎左衛門 20 織田太郎左衛門 地蔵になって踊った。 -
前野長康 20 前野但馬守 弁慶になって踊った。 岩倉城攻めで信長傘下に。以後秀吉に仕えるようになる。蜂須賀小六正勝とは兄弟の契り。
伊東夫兵衛 20 伊東夫兵衛 弁慶になって踊った。 -
市橋伝左衛門 20 市橋伝左衛門 弁慶になって踊った。 -
飯尾近江守 20 飯尾近江守 弁慶になって踊った。 -
悦弥三郎 20 悦弥三郎 鷺になって踊った。 -
天沢 21.22 天沢 武田信玄に会う。 天永寺を再興した僧。
武田信玄 21.22 武田信玄 天沢に話を聞く。 甲斐の国の大名。隣国の信濃国を平定、上杉謙信との川中島の戦いは有名。信玄は出家したのちの名前。
風林火山の旗印なども有名で、現在でも人気が高い武将の一人。
浅野又右衛門 22 浅野又右衛門 六人衆の弓持ち。 -
堀田孫七 22 堀田孫七 六人衆の弓持ち。 -
伊藤清蔵 22 伊藤清蔵 六人衆の槍持ち。 -
城戸小左衛門 22 城戸小左衛門 六人衆の槍持ち。 -
堀田左内 22 堀田左内 六人衆の槍持ち。 -
山口太郎兵衛 22 山口太郎兵衛 信長の馬衆。 -
水野帯刀 23 水野帯刀 丹下に対今川勢として駐在。 愛知県名古屋市南区の立脇町の由来だったりする。信長の母衣衆。
山口ゑびの丞 23 山口ゑびの丞 丹下に対今川勢として駐在。 -
拓植玄蕃頭 23 拓植玄蕃頭 丹下に対今川勢として駐在。 -
真木与十郎 23 真木与十郎 丹下に対今川勢として駐在。 -
真木宗十郎 23 真木宗十郎 丹下に対今川勢として駐在。 -
伴十左衛門尉 23 伴十左衛門尉 丹下に対今川勢として駐在。 -
佐久間信重 23 佐久間右衛門 善照寺に対今川勢として駐在。 織田家重臣。後に突如として追放される。
佐久間左京助 23 左京助 禅昌寺に対居間側税として駐在。 佐久間右衛門の舎弟。
梶川平左衛門 23 梶川平左衛門 中島に対今川勢として駐在。 水野忠政家臣。
佐久間盛重 23 佐久間大学 丸根砦に対今川勢として駐在。 信秀のときから織田に仕える。稲生の戦いでも信長方についていた。
織田玄蕃 23 織田玄蕃 鷲津砦に対今川勢として駐在。 信秀のおじ。
24 織田玄蕃 桶狭間合戦。鷲津砦を守り戦死。
飯尾定宗 23 飯尾近江守 鷲津砦に親子で対今川勢として駐在。 信秀の従兄弟。飯尾氏の養子になる。奥田城主。織田信平、信宗とも。
今川義元 24 今川義元 桶狭間合戦。討ち取られる。

今川氏親の三男。幼名を万菊丸。出家し太原雪斎の弟子となる。承芳と称して善徳寺に入門。善徳寺殿と言われた。
父のあとを継いだ長兄氏輝が24歳で没すると、正室の子であった義元が今川家を告ぐ。
これに不満をもった二男良真が兵を起こすがこれを制圧。(花倉の乱)
その後義元は武田信虎(信玄の父)の娘を妻にし、小田原の北条氏を牽制、三河から尾張まで勢力を拡大する。
海道一の弓取りと称される一方、公家趣味、信長に敗れた将として過少評価される事が多い。
信長公記内でも記述があった山口左馬介父子の切腹の話は、信長が森可成を商人に化けさせて広めたものを義元が信じたため、という説もある。
桶狭間の戦いでは、毛利新助に討たれた。首を討とうとする新助の指を食いちぎったと伝えられる。
義元の首は清洲の信長のもとに届いたが、岡部元信が持ちかえった。

32 駿河 斯波と吉良の会合を取り持つ。
岩室重休 24 岩室長門守 桶狭間合戦。信長に最初から付き従う。 信長の小姓。有能な人材であったため、亡くなったときはたいそう惜しまれたらしい。
長谷川好秀 24 長谷川橋介 桶狭間合戦。信長に最初から付き従う。 信長の小姓。後に追放され、家康のもとへ身を寄せる。三方が原にて討死。
佐脇好之 24 佐脇藤八 桶狭間合戦。信長に最初から付き従う。 信長の小姓。前田利昌の五男で、利家の実弟。
佐脇藤右衛門の養子。
後に出奔。三方が原で討死。
山口飛騨守 24 山口飛騨守 桶狭間合戦。信長に最初から付き従う。 信長の小姓。後に出奔、三方が原で討死。
賀藤弥三郎 24 賀藤弥三郎 桶狭間合戦。信長に最初から付き従う。 信長の小姓。賀加藤順盛の子。後に出奔、三方が原で討死。
徳川家康 24 家康 桶狭間合戦。大高城へ兵糧を運ぶ。 松平広忠の長男。幼名竹千代。元信、元康、家康。
はじめ今川義元、のち織田信長と結び東海に勢力を拡大、信長と甲斐武田氏を滅ぼす。
豊臣秀吉の天下統一には一時的に協力、関八州を与えられる。五大老。
関ヶ原の戦いで勝利。1603年征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
25 家康 岡崎の城に立て籠もる。
千秋季忠 24 千秋四郎 桶狭間合戦。先鋒隊。討死。 加賀守。千秋季光の子か弟。
つまり熱田神宮の大宮司。
前田利家 24 前田又左衛門 桶狭間合戦。首を上げる。 加賀藩の祖〈加賀百万石といえば有名)
幼名犬千代。信長の小姓として最初仕えた。一度信長の勘気をこうむるものの、追放の末復活する。
賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家についたが、のち豊臣秀吉と和を結び、金沢に封。
五大老の一人として秀頼を補佐したが秀吉の死後まもなく病没する。
毛利秀頼 24 毛利河内 桶狭間合戦。首を上げる。 斯波義統の次男。後に秀吉に仕える。
毛利十郎 24 毛利十郎 桶狭間合戦。首を上げる。 美濃国へ攻め入った毛利十郎とは別人物か?
織田薩摩守 24 木下雅楽助 桶狭間合戦。首を上げる。 中川重政の弟。周防守。長久手の戦で討死。
中川金右衛門 24 中川金右衛門 桶狭間合戦。首を上げる。 -
佐久間盛昭 24 佐久間弥太郎 桶狭間合戦。首をあげる。 -
森小介 24 森小介 桶狭間合戦。首をあげる。 -
安食弥太郎 24 安食弥太郎 桶狭間合戦。首をあげる。 -
魚住隼人 24 魚住隼人 桶狭間合戦。首をあげる。 -
服部春安 24 服部小平太 桶狭間合戦。義元に槍をつく。 采女正。信長の馬廻役。本能寺の変後は秀吉につくが、秀次の事件に連座し改易。のち切腹。
毛利良勝 24 毛利新介 桶狭間合戦。吉本の首を上げる。 新左衛門。本能寺の変の際、二条御所につめており討死。
山田新右衛門 24 山田新右衛門 桶狭間合戦。討死。 駿河今川勢。
松井宗信 24 松井五八郎 桶狭間合戦。討死。 駿河今川勢。二股城の城主。
服部左京助 24 服部左京介 熱田の町を焼き討ちにしようとしたが失敗。 今川勢の一人。河内二の江の坊主。
下方九郎左衛門 24 下方九郎左衛門 同朋などを生け捕る。 織田方の将。
前野長兵衛 25 前野長兵衛 梅ケ坪の城を攻めた際、戦死。 -
平井久右衛門 25 平井久右衛門 梅ケ坪の城を攻めた際に褒美をもらう。 -
織田信安 25 織田伊勢守 信行と謀反を企てるが失敗。

父は織田敏信。妻は織田信秀の妹。子に織田信賢、織田信家。
またの名を三郎。伊勢守。常永。
岩倉城を居城、織田伊勢守家の出身。
晩年は安土総見寺の住職になった。法名は松岳院殿大渓玉甫大居士。

川尻秀隆 25 川尻 信行の暗殺に刀をふるう。 与兵衛。 鎮吉(しげよし)。
信秀に仕え、小豆坂の戦いでも戦功があった。
武功の高い武将を集めた黒母衣衆に抜擢。
武田滅亡後、その功績を認められ府中城主となり甲斐一国と信濃の一部を与えられる。
本能寺の変後、武田の威信がまだ残る甲斐で一揆が勃発。
この国人一揆衆に襲われ討死。
青貝 25 青貝 信行の暗殺に刀をふるう。 -
金森 26 金森 信長について上京。 -
足利義輝 26 公方光源院義照 信長に会う。 足利幕府13代将軍。義昭の兄。12代将軍である足利義晴の嫡男として生まれる。
義晴と管領細川晴元の対立に巻き込まれる。父義晴は敗れて近江坂本に逃れ、それに義輝も従った。
その後も父とともに京への復帰と坂本への脱出を繰り返した。
将軍就任式は、亡命先の近江坂本で行なわれた。
天文17年(1548)細川勝元と和睦、京に戻る。このとき晴元も義輝の将軍就任を承諾している。
最後は松永久秀らに殺されることで有名だが、決して弱い将軍ではなかった。
大名たちの紛争の調停をたびたび行い、将軍としての権力を十分振るったといえる。
義輝は塚原卜伝に奥義の伝授を受けた剣豪でもあったため、
最期も秘蔵の太刀で敵兵を多数、斬り殺したという。
丹羽兵蔵 26 丹羽兵蔵 信長暗殺を事前に報告する -
小池吉内 26 小池吉内 信長暗殺未遂を起こす。 -
平美作 26 平美作 信長暗殺未遂を起こす。 -
近松田面 26 近松田面 信長暗殺未遂を起こす。 -
宮川八右衛門 26 宮川八右衛門 信長暗殺未遂を起こす。 -
野木次左衛門 26 野木次左衛門 信長暗殺未遂を起こす。 -
佐々成政 27 佐々蔵人 信長へ謀反?? 父は佐々成宗(盛政ともいわれている)。通称内蔵助。
陸奥守、侍従。家紋は棕櫚。馬印は金の三階傘。
信長の家臣であり、黒母衣衆筆頭でもあった。
前田利家とはライバル関係であった。
本能寺の変のときは北陸で上杉と対戦中だったため秀吉に一番手をとられてしまう。
その後は反秀吉勢力となり、冬の日本アルプスを超え(さらさ越え)徳川家康に働きかけるが実らず。
結局秀吉傘下になるも、肥後国での失政を責められ、切腹。
反秀吉として動いた面がクローズアップされ、猛将のイメージが強いが実際には治水事業にも力を発し、越中には済民堤、佐々堤と呼ばれる遺構が残る。
男子には恵まれなかったため養子を取っているが、家督はひきづがれることがなく、直系の子孫はいない。
傍流で有名なのは佐々介三郎(水戸黄門の助さんのモデル)
埋蔵金や、小百合(黒百合)の伝説など、逸話の題材になることが多い武将の一人である。
又左衛門 27 又左衛門 大蛇を見る?? 福徳郷の住人。
鵜左衛門 27 鵜左衛門 蛇がへ。 -
池田恒興 28 池田勝三郎 一色村の左介をかばう。

織田信長の乳兄弟。(母が信長の乳母)若いころから信長の小姓として仕えた。
信長の死後は秀吉に仕え、山崎の戦、賤ヶ岳の戦い等にでている。小牧長久手の戦いにて戦死。
森乱丸の兄、森長可とは娘婿の関係であった。

甚兵衛 28 甚兵衛 左介に盗みに入られる。 織田信房の家来。尾張国海東郡大屋という里の庄屋。
左介 28 左介 甚兵衛の宿に盗みに入るが火起請により成敗される。 一色村の住民。池田恒興の被官。
土岐頼芸 29 土岐頼芸公 道三に追放される。 よりなりと読む。土岐政房の子。
土岐家は清和源氏の流れを汲み、もとはといえば美濃・尾張・伊勢の守護大名であった。
また常陸や上総にも土岐家は展開しているが、美濃土岐氏との関係は?の部分が多い。
一説には頼芸が追放された後流れ着いた先が常陸であったため、頼芸が関東における土岐氏の祖とも言われる。
土岐頼満 29 次郎殿 道三に毒殺される。 -
土岐? 29 八郎殿 - -
齋藤義龍 30 新九郎、
新九郎はんか
長良川の戦い。父道三を殺し美濃領主となる。 道三の息子。一説には土岐頼芸の息子とも。
道三を長良川の戦いで倒し、美濃領主となる。
信長の美濃進出を阻む大きな壁となった。
35歳という若さで死んでしまうが六角氏と同盟を結び、浅井長政と戦いながら織田の侵攻を退けるあたり、かなり有望な武将であった。
齋藤孫四郎 30 孫四郎 義龍のクーデターにより誅殺される。 道三の息子。義龍の弟。
一色右兵衛大輔 30 喜平次、
右兵衛大輔
義龍のクーデターにより誅殺される。 道三の息子。義龍、孫四郎の弟。
長井道利 30 長井隼人正 義龍のクーデターを進める。 道三の家臣。美濃の関城の城主。
義龍のクーデターには義龍側として登場する。
義龍死後は龍興に使え、美濃を追われたあとも龍興とともに足利家に仕えたりするが、
元亀2年摂津白河の河原で討ち死にする。
日根野弘就 30 日根野備中 義龍のクーデターに加わる。
弟たちを殺害する。
斎藤道三、その死後は斎藤義龍、そして斎藤龍興と、斎藤氏に仕えた武士。
斎藤六宿老の人り。
信長との戦いの記録は長く、斎藤氏が滅んだ跡は今川氏、浅井氏などに使えている。
最終的には信長に仕えることになるが、死後は秀吉に仕え信任を得る。
甲冑の日根野式は彼が考案したもの。実践向きであったという。
竹腰道塵 30 竹腰道塵 長良川の戦いで道三に迫るが討死 -
長屋甚右衛門 30 長屋甚右衛門 長良川の戦いで一騎打ちをする。 -
柴田角内 30 柴田角内 長良川の戦いで一騎打ちをする。 -
長井道勝 30 長井忠左衛門 長良川の戦いで道三を生け捕りにしようとする。 道利の子。
後に秀吉に仕える。黄母衣衆になったとも言われているが、詳しくは不明。
小牧源太 30 小牧源太 長良川の戦いで道三を討ち取る。 -
山口取手介 31 山口取手介 大良の戦いで討死 -
土方喜三郎 31 土方喜三郎 大良の戦いで討死 -
千石又一 31 千石又一 森可成にけがを負わせる。 義龍方の兵。
吉良義昭 32 吉良殿 三河国上野原で斯波と会合 吉良義堯の三男。今川義元が織田信広を攻めた際に今川へついたため今川に従属する身となる。
今川が滅びた後は徳川家と対立するが、後に降伏。
吉良家自身は江戸時代も続き赤穂事件で有名な義央をだす。

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